父の水筒

今、Eテレ、100分で名著で大岡昇平の「野火」をやっていて、見るともなく見ている。

以前、塚本晋也監督の映画「野火」を見たことがあって、画面を見続けるのがつらかった記憶がある。

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フィリピンのミンドロ島での兵士の話。

見ながら、ふと私の父の水筒のことを思う。
父は、徴兵されて「支那」に行ったと言っていた。
兵隊に行って苦労を共にした水筒を、ずっと持っていた。
その苦労話を折々に聞かされていた私は捨てられず、今の家に持ってきた。



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本当は、困る。でも捨てられない。


小柄な父は、丙種合格だったそう。
8歳年上の伯父と同時に召集令状が来た。
伯父は祖父が見送りに行き、父の方は祖母が行ったそう。

それはともかくとして、支那で3度正月を過ごしたというから3年ぐらいだろうか。
すでに船で向こうにわたる時、救命具を付けさせられ、危なかったという。

しちょうへい(輜重兵)で、上官にしょっちゅう殴られていた話。
「上官の命令は、事のいかんにかかわらず天皇の命令だと思え」と言われたそう。
「ことのいかんにかかわらず、だぞよ」と、何度も。
歩哨に立ったとき、月を見ては故郷を思い、ぽろぽろ涙がこぼれた話。
食料調達はいわゆる「略奪」である。
落伍すれば、それは死ぬことになるから必死で行軍について行った話。
・・・・

食事のときに、たまに、そうやって、まだ子供だった私たちに話していた父。

いま、私が中国に行くようになって、もっと父の話を聞いておけばよかったと後悔している。
今なら、中国のどんなところに行ったのか、どんなふうに黄河と揚子江の間を行軍したのか。列車か歩きか。
中国の人達の生活はどんなだったか聞くことだろう。
わずかに残っている写真も、父に聞かなければどこだかさっぱりわからない。
あのころは、少し酔った父から逃れるのに腐心していたのだった。

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いま思えば、父と8歳年上の伯父に召集が来て、4歳上と12歳上の伯父にはなぜ来なかったのか。
来なかった二人は教師だったからなのか。
そういうことも聞いておけばよかった。

父の故郷の近くに、軍隊から脱走した人がいたそう。その人は台湾の少数民族に紛れ込んだという話も、もっと聞けていたら・・・


父の水筒は、8月の15日ころになると、戦争での苦労話を、ぽつり、ぽつり語りだす。

やはり、捨てられるものではない。
でも、私が死んだら、どうなるだろう。
誰にも、父の語りは聞こえなくなる。
あのころ、招集された日本中の下っ端兵士の声。


どうか、どうか、世界が平和でありますように。


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by wawa38 | 2017-08-16 22:38 | 風の色 | Trackback | Comments(2)
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Commented by saheizi-inokori at 2017-08-17 10:28
日本兵たちが食料を調達(強奪)しに来るのをみて、日本が中国の民を解放するために出征しているというのは間違いじゃないか、と考える大城立裕「朝、上海に立ちつくす 小説東亜同文書院」 の叙述を思い出しました。
お父さん、無事に帰還されてよかったですね。
Commented by wawa38 at 2017-08-17 12:07
> saheizi-inokoriさま

>日本が中国の民を解放するために出征しているというのは間違いじゃないか、と考える
・・・そういう人がいて少し救われる思いがします。

 父は敗戦後、しばらくして帰還できたのですが、8歳年上の伯父の方は、数年かかりました。伯父には妻子がいて、父の方が先に戻ったので、伯父の奥さんに泣かれてしまったそうです。ドラマのようなことが実際、日本中で起こっていたのですね。

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